大蛸の釣鐘(おおだこ の つりがね)
蝦夷地の本州に一番近い港の沖合にその昔、
大タコが住んでいたそうです。
その昔、ある町のお寺で、釣鐘をこしらえることにしました。
しかし、蝦夷には、釣鐘など作れる所がなかったので、
大阪で作り、そして、作った鐘を船で運ぶことにしました。
船は蝦夷の本州よりの港の沖合までは順調に進んでいきましたが、
その港の沖合で、突如として大タコが現れ、
あっという間に鐘を海中にひきずり込んでしまいました。
町はその一件で大騒ぎになりました。
そして、町人たちは相談した結果、
大ダコにどうして釣鐘がほしいのか聞いてみることにしました。
大タコが言うには、
『帽子がほしいと思ってたところに、大きな帽子(釣鐘)をつんだ船が通ったので、これ幸いと戴くことにした。』
とのことでした。
町人たちはその話を聞き、その釣鐘は大ダコにあげて寺には違う釣鐘を別に作ることにしました。
大ダコは大いに感謝して、お礼の印に今後、タコの豊漁が続くことを約束しました。
現代でも、その江差近海はタコの豊漁場として有名だそうです。
また、アイヌ語では、タコのことを(海の木幣)アドイイナウというそうです。
大タコが住んでいたそうです。
その昔、ある町のお寺で、釣鐘をこしらえることにしました。
しかし、蝦夷には、釣鐘など作れる所がなかったので、
大阪で作り、そして、作った鐘を船で運ぶことにしました。
船は蝦夷の本州よりの港の沖合までは順調に進んでいきましたが、
その港の沖合で、突如として大タコが現れ、
あっという間に鐘を海中にひきずり込んでしまいました。
町はその一件で大騒ぎになりました。
そして、町人たちは相談した結果、
大ダコにどうして釣鐘がほしいのか聞いてみることにしました。
大タコが言うには、
『帽子がほしいと思ってたところに、大きな帽子(釣鐘)をつんだ船が通ったので、これ幸いと戴くことにした。』
とのことでした。
町人たちはその話を聞き、その釣鐘は大ダコにあげて寺には違う釣鐘を別に作ることにしました。
大ダコは大いに感謝して、お礼の印に今後、タコの豊漁が続くことを約束しました。
現代でも、その江差近海はタコの豊漁場として有名だそうです。
また、アイヌ語では、タコのことを(海の木幣)アドイイナウというそうです。